陰陽五行の配当 十干

十干の起源

皆さんは子供に数のかぞえかたを教えるときに、両手の指を折って1から10までのかぞえ方を教えると思います。子供は10という数字を最初に教わった後、10を単位に100までを数えることが出来るようになります。陰陽五行の生まれた古代中国において、指は「澣(かん)」と表記されていましたが、その後に簡易的に「干」の字を充てられるようになりました。これが「十干」の起源です。10という数字で日にちを数えると3回目で丁度30日、ひと月になるという「日にち」計算に用いられる数字でした。十干は一から十までを「甲乙丙丁戊己庚辛壬癸」の字で充てます。

 

十干の配当

日にちを数える「十干」にも陰陽五行の配当があります。甲乙は木、丙丁は火、戊己は土、庚辛は金、壬癸は水 という具合です。それぞれの五行に陰陽をつけて十干に配当すると下図のようになります。

五行配当図 十干
五行配当図 十干

十干を陰陽五行に配当されることで、読み方がこのようになります。

  • 甲は「木の兄(陽)」なので「きのえ」
  • 乙は「木の弟(陰)」なので「きのと」
  • 丙は「火の兄(陽)」なので「ひのえ」
  • 丁は「火の弟(陰)」なので「ひのと」
  • 戊は「土の兄(陽)」なので「つちのえ」
  • 己は「土の弟(陰)」なので「つちのと」
  • 庚は「金の兄(陽)」なので「かのえ」
  • 辛は「金の弟(陰)」なので「かのと」
  • 壬は「水の兄(陽)」なので「みずのえ」
  • 癸は「水の弟(陰)」なので「みずのと」

読み方の最後の一文字に注目すると、「え」「と」「え」「と」「え」「と」…となっています。干支は「えと」と読んでいますが、本来は十干の陰陽(兄弟)の事を意味していたのです。

なぜ甲乙丙丁戊己庚辛壬癸の十干の「えと」が、十二支を意味するようになったのでしょうか。

 

 

 

五行の配当 十二支

十二支といえば年賀状や神社の絵馬に用いる動物のイラストでお馴染みですが、本来の十二支は時間と方位を表しています。時間とは年、月、日、時刻のことです。月の満ち欠けは約29~30日で一巡します。これを12回繰り返すと大体1年。12という数字が重要で、この「12」という数字は2分割3分割4分割6分割もできる便利な数字であったので、社会において暦、時間を共通認識として浸透させるために其々に十二支という動物を充てて人々に分かりやすくしたものであろうと推測されます。方位とは東西南北360度を十二等分して北の「子」から時計回りに十二支を配したものです。

大陸の「漢」の時代に成立した陰陽五行思想は世の中全ての事柄をこの思想によって解明、予想するという「基準」なので、重要な暦(時間)、方位についても五行に配当されてゆきます。陰陽五行思想によって年や時間、方位を配当していくことで、他国との戦いの優劣や戦局を予想するようなことから、豊作凶作、天候、天変地異、人と人の相性などの占いなど、人間の力では制御不能な事柄を予想し施政に反映させたり、対処してゆくことができるようになると信じられていきます。

陰陽五行思想を十二支に配当することは、方位と時間を取り入れることになるので配当の中でも特に重要です。

五行の配当 時間と日

十二支は「ひと月」「時刻」に充てられています。どちらも12単位で丁度よいです。

月は、1月から12月まで、睦月、如月、弥生、卯月、皐月、水無月、文月、葉月、長月、神無月、霜月、師走という名称がありますが、現在の暦では12月を子として、時計回りで十二支が充てられています。1月は丑、2月は寅、3月は卯、4月は辰、5月は巳、6月は午、7月は未、8月は申、9月は酉、10月は戌、11月は亥という具合です(旧歴では11月が子にあたります)。

時刻は、十二支はじめの「子の刻」は現在の23:00~1:00の2時間に相当します。お昼の11:00~13:00は十二支の6支目の午になります。現在でも12:00が「正午」という呼び名で習慣として残っていますが、午の刻の真ん中という意味です。又、「草木も眠る丑三つどき」という言葉がありますが、丑の刻1:00~3:00の2時間を30分毎に分けて(1:00~1:30、1:30~2:00、 2:00~2:30、2:30~3:00)その三つ目2:00~2:30に相当します。

五行の配当 年と日

年と日には十二支ではなく「六十干支」が充てられています。この内容については別の記事にて説明したいと思います。

五行の配当 方位

方位とは東西南北360度を十二等分して北の「子」から時計回りに十二支を配したものです。それとは別に東西南北を「四正」といい、それぞれの中間、北東、東南、南西、西北の「四隅」を「八方位」といいます。四隅に充たる十二支は丁度境目にあたる為にありません。なので、東北は丑寅「艮」、東南は辰巳「巽」、南西は未申「坤」、西北は戌亥「乾」と表します。

 

十二支の五行配当

十二支五行配当図
十二支五行配当図

 

注1:とても悩ましいのですが、五色の配当の通りに色分けすると十二支は木→火→土→金→水 の順番に循環していません。土は中央と、木、火、金、水の終わりに配され、土用という季節の変わり目に配当されます。

注2:月は新暦で表示しています。

 

生まれ月の色

十二支五行配当図を見ると、1年12ケ月の其々の月が五行で色分けされています。例えば、2月、3月生まれの人は「木」、5月、6月生まれの人は「火」、8月、9月生まれに人は「金」、11月、12月生まれに人「水」、1月、4月、7月、10月生まれの人は「土」になります。木、火、土、金、水の要素にはそれぞれ色が配当されています。

ここで疑問が生じるかもしれません。例えば「私は占いで「土」の年に生まれたと云われているけれど、5月うまれだから「火」なの?」というような疑問です。答えとしては応です。人は、生まれ年、月、日、時刻、生誕場所、などそれぞれの五行の異なる要素を持っています。その人によって、木、火、土、金、水の要素の比率が異なり、そこで相手との「相性が良い」とか「相性が悪い」というような事柄を五行の「相生」と「相克」の考えにも続いて判断していくことににつながるわけです。

次の記事:五行十干の配当

 

 

五行の配当

漢代に陰陽五行思想が世の中に浸透してくると、施政の裏付けに陰陽五行思想があるため、世の中のあらゆる事柄に五行(木・火・土・金・水)をあてはめられるようになりました。例えば、年間の季節、東西南北の方位、甘み辛み等の味覚、人体の内臓、視覚聴覚などの五感、暑さ寒さ等の五気などです。このことを「五行配当」といいます。

五行配当表

五行配当表

注:五色における木の配当は「青」ですが、青山、青田の例のように緑系色を意味します。又、水の配当は「黒」ですが紫色で表すことがあります。

五行の配当を色分けすると、何か見覚えがありませんか?そうです。お寺の五色幕や七夕の短冊の配色は五行に則っているのです。日本においても陰陽五行思想は深く根付いています。

この五色の他にも十干と十二支においても五行が配当されているので、ひとりひとりその生誕年月日により相生のよい「色」というものがでてきます。色の配当についてはまた別の記事にて。

当店、FamilyStyleで命名旗、名前旗を選んで頂く際に、お好みの色という基準の他に、陰陽五行説を基にお子様の出生年と「相生」の良い旗色を選んでみるという方法もあります。

 

 

陰陽五行説

五行説の起源

宇宙一切の万物は水・火・木・土・金の五つの要素によって成り立っているという思想です。易学では五行の起源について、古代王朝の夏の禹王による「洛書」に求め、周朝の「書経」の「洪範」という一遍のなかで、古代中国の殷朝を滅ぼした周の武王が殷の箕子に教えを請い、箕子は禹王から伝承された五行について語ったとあります。

夏は殷に紀元前17世紀に滅ぼされたとされる王朝です。殷の遺跡には、亀の甲羅や動物の骨に刻まれた「甲骨文字」という漢字の原型になるものが出土しています。古代王朝の夏、殷、周は祭祀、占いによる政治を行っていたようなので、五行説はその政治において重要な思想であったと考えられます。

甲骨文字

五行説は後に陰陽思想と結合していきます。

五行相剋の循環

紀元前4世紀頃の陰陽家の鄒衍(すうえん)は、為政者が行う春夏秋冬の四季折々施政の決まり事(時令思想)と五行説を融合し、上記の「書経」にある水・火・木・土・金の要素を並び替えて、木・土・水・火・金の順に循環するとしました。これを五行相剋説といいます。「剋」は下剋上の剋で打ち負かす意味です。

 

 

 

 

すうえんの唱えた五行説

 

  • 「木剋土」木は根を張り土をしめつけて養分を吸収するので、土にとって木は相性がわるい

  • 「土剋水」土は水を堰き止め、清らかな水を濁らせるので、水にとって土は相性がわるい

  • 「水剋火」水は火を消し去る。五行相剋思想の中で最も相性がわるい

  • 「火剋金」火は金属(金)を溶かすので、金にとって火は相性がわるい

  • 「金剋木」木は斧(金)や鋸によって伐られるので、木にとって金は相性がわるい

 

古代の各王朝は五行の木・火・土・金・水のいずれかの性格を帯びているとされました。施政は祭祀よるところが大きく、鄒衍の五行相剋説は水の徳を持つ秦の始皇帝の正当性を裏付けるために王朝交代の原理に利用されます。

五行相剋循環図

 

陰陽五行説へ

鄒衍から200年後、前漢の時代に劉向、劉歆の親子が五行相生説をとなえます。相生とは何かを生み出してゆく親子関係のような穏やかな協力的関係を意味します。劉向、劉歆の親子は鄒衍のとなえた木・土・水・火・金の相剋循環の順番を変えて、木・火・土・金・水 の順番にしました。五つの要素を相生の関係にするために入れ替えたのです。

この五行の並び換えは鄒衍の相剋説も五芒星の形状で肯定することになり陰陽五行思想は完成します。陰陽五行思想は漢王朝の正当性を裏付けるものとして政治的に採用され世の中に浸透してゆきます。

 

五行相生相剋図

 

 

  • 「木生火」木は火の熾す。火にとって木は相性が良い。

  • 「火生土」火は燃え尽きると灰になり土となる。土にとって火は相性が良い。

  • 「土生金」金属は土の中から生じる。金にとって土は相性が良い。

  • 「金生水」水は金属の結露により生じる。鉱脈の傍には水源がある。水にとって金は相性が良い。

  • 「水生木」木は水のよって生じ育つ。木にとって水は相性が良い。

 

 

この世の一切の万物は陰陽二気によって生じ、木・火・土・金・水の要素に配当され、この五つの気が絶えず循環している。そしてこの五つの要素は、互いに相生と相剋の関係にあり盛生減退を繰り返す。これが陰陽五行説の基本的な思想です。

漢の時代に陰陽五行思想が世の中に浸透してくると、施政の裏付けに陰陽五行思想があるため、世の中のあらゆる事柄に五行(木・火・土・金・水)をあてはめられるようになりました。このことが現在の日本の習慣にも深く影響しています。

 

 

太極図

陰陽思想

陰陽説とは

陰陽説は古代中国で生まれた思想です。すべての事柄は陰と陽からなり、それぞれが互いに影響しあいながら、補い合い、調和しあって万物を生成し、発展して移ろうという考えです。

季節の移ろいをイメージすると判りやすいのですが、例えば冬においては秋に近い冬と、春に近い冬とは寒さ暖かさの比率が同じようで同じではありません。

寒い冬といっても、南天の実りがあり、木々が蕾をつくっているように、既に春を宿しています。このように寒さ暖かさをそれぞれ陰と陽に置き換えると、完全な陰、完全な陽は存在せず、必ず陰の中にも陽があり、陽の中にも陰があり、相反するものが調和しあって季節は移ろいます。陰陽思想では調和のとれた循環を上図の太極図で表現しています。

陰と陽の属性

陰陽思想においては、万物が陰と陽の性質を帯びているとされているのですが、夏と冬のようにある程度どちらかに極まった状態があります。下記の図はそのような相反する事柄をそれぞれ陰と陽に振り分けたものです。

陰陽思想において男女というものを考えてみますと、確かに男性意識のなかの女の性というものはありますし、その反対も然りです。世の中もだんだんそのような認識にたって法律や社会制度を改める方向にあるようですが、我々はいつも極端な事柄を不動のことのように感じて極端な制度や思想を採用してしまっているように感じられます。バランス、調和というものは得るのに難しく簡単に崩れてしまうことは皆さんご存じのとおりです。

この陰陽思想は後に五行思想と融合して陰陽五行説という思想に発展していきます。

 

 

 

 

 

六十干支のこと

甲子(キノエネ)から癸亥(ミズノトイ)まで六十種の干支の刺繍

当ショップの命名旗には年号生年月日の上に六十干支がふりがなと共に刺繍してあります。小さい「ふりがな」は大変ですが、読み方の習慣が薄れているので敢えて頑張って刺繍していますよ。

司馬遼太郎著作の「菜の花の沖」に、主人公の干支から生まれ年を計算して安永○○年生まれかと言い当てる一説が出てきますが、昔の人は相当暗算に強かった印象があります。 今は自分の干支を言ってもなかなか他の人には、生まれは元号○○年だね と推し量られることはないように思われます。あまり興味がない事柄の部類に入るのでしょうが、 これが親戚となるとちょっと変わります。連帯感というのでしょうか仲間意識というのでしょうか、この子と自分との年齢関係が妙に気になりだします。 温故知新といいますかこういった昔の習慣が現代に復活してくれれば面白いと思っています。

六十干支は十干十二支と同義

万物は火・水・木・金・土の5種類の元素からなり、其々が互いに影響を与え合い、盛衰を繰返し循環するという中国の古代思想を陰陽五行説といいます。

それぞれの元素には陽と陰があり、は甲(こう)、乙(おつ)、は丙(へい)、丁(てい)、は戊(ぼ)、己(き)、は庚(こう)、辛(しん)、は壬(じん)、癸(き)と分けられています。

陽と陰は、「兄(え)」と「弟(と)」の字を充て、木の兄(きのえ)甲、木の弟(きのと)乙、火の兄(ひのえ)丙、火の弟(ひのと)丁、土の兄(つちのえ)戊、土の弟(つちのと)己、金の兄(かのえ)庚、金の弟(かのと)辛、水の兄(みずのえ)壬、水の弟(みずのと)癸 として「十干」(じゅっかん)といいます。 この十種類と子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥の十二支を組合せたものが六十干支で別名十干十二支といいます。

十干は甲(きのえ)から始まり5元素とそれぞれの陰陽の10単位を経て1周します。十二支は12単位を経て1周しますので、十干十二支は10と12の最小公倍数60で一周します。還暦祝いが60歳なのはこのためです.

十干と十二支のイラスト

 

干支の「兄」「弟」の陰陽は不変

ところで、下の図をよく見ていただきたいのですが、例えば子年生まれの「乙(きのと)」は存在しません。 子年生まれの方は必ず 木の兄、火の兄、土の兄、金の兄、水の兄に何れかの「兄」となり「弟」にはなりえません。反対に丑年生まれの方は必ず「弟」で、「兄」にはなりえません。どの十二支でも木火土金水の元素がありますが、陽である「兄」、陰である「弟」の巡り合わせは一定で変わりません。下図では兄(陽)の干支グループとして子寅辰午申戌。弟(陰)の干支グループとして丑卯巳未酉亥に分けてあります。 十干十二支にはこんな規則性があります。

干支の陰陽分けのイラスト

干支の陰陽の循環図表

五行の移ろい

十二支それぞれの五行の巡り合わせは、常に木→火→土→金→水と12年周期に移ろいます。

例えば、
辰年の場合 12年おきに 甲(木の兄) 辰→丙(火の兄) 辰→戊(土の兄) 辰→庚(金の兄) 辰→壬(水の兄) 辰
巳年の場合 12年おきに 巳(木の弟) 巳→丁(火の弟) 巳→己戊(土の弟) 巳→辛庚(金の弟) 巳→癸(水の弟) 巳

と言う具合になります。仮に、父親が丙辰(火の兄の辰)年生まれで、父が24歳のときの子供ならば、その子は庚辰になり。金の兄の辰になるわけです。  親戚を見渡すといろいろな年代の人たちがいますが、祖父や孫の干支が同じ辰でも、「母方の祖父は甲(きのえ)辰だなあ」とか簡単に判るようになるのです。

このように親子で同じ干支でも、60歳の時に生まれるお子様以外は皆、異なる十干になります。当店の全ての命名旗には明確に六十干支を記して、その違いを尊重しています。読み慣れない六十干支ですので「ふりがな」もふって皆様の記憶に刻んで頂けるように工夫しています。

 

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