陰陽五行説

五行説の起源

宇宙一切の万物は水・火・木・土・金の五つの要素によって成り立っているという思想です。易学では五行の起源について、古代王朝の夏の禹王による「洛書」に求め、周朝の「書経」の「洪範」という一遍のなかで、古代中国の殷朝を滅ぼした周の武王が殷の箕子に教えを請い、箕子は禹王から伝承された五行について語ったとあります。

夏は殷に紀元前17世紀に滅ぼされたとされる王朝です。殷の遺跡には、亀の甲羅や動物の骨に刻まれた「甲骨文字」という漢字の原型になるものが出土しています。古代王朝の夏、殷、周は祭祀、占いによる政治を行っていたようなので、五行説はその政治において重要な思想であったと考えられます。

甲骨文字

五行説は後に陰陽思想と結合していきます。

五行相剋の循環

紀元前4世紀頃の陰陽家の鄒衍(すうえん)は、為政者が行う春夏秋冬の四季折々施政の決まり事(時令思想)と五行説を融合し、上記の「書経」にある水・火・木・土・金の要素を並び替えて、木・土・水・火・金の順に循環するとしました。これを五行相剋説といいます。「剋」は下剋上の剋で打ち負かす意味です。

 

 

 

 

すうえんの唱えた五行説

 

  • 「木剋土」木は根を張り土をしめつけて養分を吸収するので、土にとって木は相性がわるい

  • 「土剋水」土は水を堰き止め、清らかな水を濁らせるので、水にとって土は相性がわるい

  • 「水剋火」水は火を消し去る。五行相剋思想の中で最も相性がわるい

  • 「火剋金」火は金属(金)を溶かすので、金にとって火は相性がわるい

  • 「金剋木」木は斧(金)や鋸によって伐られるので、木にとって金は相性がわるい

 

古代の各王朝は五行の木・火・土・金・水のいずれかの性格を帯びているとされました。施政は祭祀よるところが大きく、鄒衍の五行相剋説は水の徳を持つ秦の始皇帝の正当性を裏付けるために王朝交代の原理に利用されます。

五行相剋循環図

 

陰陽五行説へ

鄒衍から200年後、前漢の時代に劉向、劉歆の親子が五行相生説をとなえます。相生とは何かを生み出してゆく親子関係のような穏やかな協力的関係を意味します。劉向、劉歆の親子は鄒衍のとなえた木・土・水・火・金の相剋循環の順番を変えて、木・火・土・金・水 の順番にしました。五つの要素を相生の関係にするために入れ替えたのです。

この五行の並び換えは鄒衍の相剋説も五芒星の形状で肯定することになり陰陽五行思想は完成します。陰陽五行思想は漢王朝の正当性を裏付けるものとして政治的に採用され世の中に浸透してゆきます。

 

五行相生相剋図

 

 

  • 「木生火」木は火の熾す。火にとって木は相性が良い。

  • 「火生土」火は燃え尽きると灰になり土となる。土にとって火は相性が良い。

  • 「土生金」金属は土の中から生じる。金にとって土は相性が良い。

  • 「金生水」水は金属の結露により生じる。鉱脈の傍には水源がある。水にとって金は相性が良い。

  • 「水生木」木は水のよって生じ育つ。木にとって水は相性が良い。

 

 

この世の一切の万物は陰陽二気によって生じ、木・火・土・金・水の要素に配当され、この五つの気が絶えず循環している。そしてこの五つの要素は、互いに相生と相剋の関係にあり盛生減退を繰り返す。これが陰陽五行説の基本的な思想です。

漢の時代に陰陽五行思想が世の中に浸透してくると、施政の裏付けに陰陽五行思想があるため、世の中のあらゆる事柄に五行(木・火・土・金・水)をあてはめられるようになりました。このことが現在の日本の習慣にも深く影響しています。