器としての柏葉
柏の葉は古来より食物を包む食器としての用いられ、現在でも柏餅で名残が感じられます。陶器や木器などの食器が普及した後も、旧儀を重んじる宗教の場、御食(みけ)を給する際に柏の葉を用い続けています。宮中では大嘗会の式典には今も柏の葉を食器の代わりに用いています。食膳を司る専門職を膳夫とかいて「かしわで」と読むのはその食器としての用途から来ているようです。
古来より柏には「葉守の神」が宿るとされ、柏の葉は秋に枯れても春に新芽が出るまで落ちないために土が付いていません。先ず衛生的です。また「落ちない」ことが縁起良く、次の代まで永らえる子孫繁栄の象徴だったのではないでしょうか。
「柏木、いとをかし、葉守の神のいますらむもかしこし」
と清少納言が枕草子の中で述べています。
柏は神事用の神木としても尊重され、「源氏物語」「枕草子」などに「柏木に葉守の神」と記されています。葉守の神とは、樹木を守る神が宿っているとされる樹木のことで、柏のほかに楢(ナラ)があります。神事用の木というと榊を思い出しますが、やはり神饌を盛る器に使われるのでしょうね。
多賀大社の神紋
滋賀県の琵琶湖の東にある多賀大社は地元で「お多賀さん」と呼ばれる神社です。三つ巴の神紋のほかに「虫くい折れ柏」と呼ばれる柏の神紋を使用しています。ちょうど多賀大社の入り口にあるお蕎麦屋さんの暖簾にこの紋がありますね。
平安の昔、東大寺の再建を命ぜられた俊乗坊重源は伊勢神宮に三度参詣したのちに、多賀大社に参詣します。すると、眼前に柏の葉が舞い落ちてきます。見ればその葉は「莚」の字の形に虫食い跡の残るものでした。「莚」は「廿」と「延」に分けられ、「廿」は「二十」の意であるから、すなわちこれは「(寿命が)二十年延びる」と読み解き、神意を得て奮い立った重源は東大寺の再建を成し遂げます。重源は報恩謝徳のため多賀大社に赴き、境内の石に座り込むとそのまま眠るように亡くなったと伝えられます。寿命石はその由緒を伝える石として延命を祈る人が耐えません。
多賀大社では重源の偉業に報いて柏の紋を大切にしています。
多賀大社の他に家紋としては、伊勢神宮、熱田神宮、吉備津神社、宗像神社の大宮司家をはじめ多くの神職のお家が用いており、神道の信仰的な性格を帯びた紋になっています。武家も葛西氏や山内氏をはじめ多くの家が用いており種類もとても多いです。
大河ドラマ「晴天を衝け」では渋沢栄一の生涯をえがいていますが、所縁のある長野県佐久市のポスターでは渋沢家の「丸に違い柏」をつかっていますね。
使用家
葛西氏 桓武平氏秩父氏一族の葛西氏が源頼朝の奥州征伐に加わり軍功を上げ下総より奥州陸奥国に土着する。「羽継原合戦記」に三つ柏で記載がある
千秋氏 太平記、見聞諸家紋に蔓三つ柏とある
朝日氏、清氏 六つ柏
野間氏、上林氏 蔓三つ柏
宗像氏 一つ柏
雀部氏 違い柏
山内氏 蔓三つ柏巴
水原氏 三つ柏巴
越中長岡藩牧野氏 牧野柏
豊後国岡藩中川氏 中川柏
土佐山内氏 土佐柏
阿波国徳島藩蜂須賀氏 抱き柏
柏の家紋
丸に抱き柏
使用家 相原氏 藤原氏支流の是政を祖とする 石野氏 遠江国山名郡石野に住み称する。十市氏族中原氏流の替え紋 宇田川氏 藤原北家上杉大井氏族 長田氏 尾張国より起こる。桓武平氏良兼流 柏氏 常陸国の中臣氏族 金子氏 未勘源 […]